コラム「産業保健のさんぽみち」
産業医活動の今昔
- コラム「産業保健のさんぽみち」
◆25年前の企業側の産業医の認識
産業医になったのはもう25年以上前のことです。当時は産業医と言うものに対しての認識は高くなく、事業所(会社)に行って社員の病気を見てもらうようなレベルだったと記憶しています。
嘱託産業医として初めて受け持ったのは製薬会社でした。そこは、常勤の看護師が配置されていて、週1回の訪問時には全てをお膳立てしてくれて、呼び出す対象の社員をピックアップしてくれていました。同時に風邪をひいている社員の診察などもしていました。
その後、契約事業所も次第に増えまして、東京都の委託事業をしている事業所にも行くようになりました。そこの古参の総務担当者からは、「ここは昔からのやり方があるので先生はあまり突っ込んで仕事をしないでいいです。あんまり張り切らないで下さい。先生は来てもらうだけでいいですから。場合によっては支社にも顔を出してもらいますがその時も同様にお願いします。」と、今では考えられないような話をされ困惑したのを覚えています。
契約事業所は一番多い時で8か所になりましたが、産業医としてやるべき業務が増えてきて、1か月にすべての職場を回ることが難しくなるほどになりました。
◆質・量ともに増える今日の産業医ニーズ
長時間労働の面談、メンタルヘルス面談、復職面談等々ここ5年位で産業医活動に費やす時間が多くなってきたと実感しています。以前のように仕事をしなくてもいいですよというような事業所はほとんどなくなり、むしろあれもこれもとお願いをされることが多くなってきました。
ある時、懇意にさせてもらっている産業医の先生から言われた一言を紹介します。
「企業は人で動いているんだ、人とはリソースだ。人を見ることができるのは医者だ。だから産業医が大事であり、また楽しいのだ。産業医ほど楽しい仕事はないと思う。企業のリソースを生かすために毎日企業に提案し続けている。」
この話はおそらく産業医のこれからあるべき姿を現していると思います。
◆産業医活動の展望
25年前と今とを比較すると産業医の社会的存在が大きくなってきつつあります。今後は産業医の労働形態も変わっていくかもしれません。
平成26年度から始まる産業保健活動総合支援事業(旧:地域産業保健センター事業)は医師会がその事業から外され、個々の産業医と(独)労働者健康福祉機構との間の業務委託になり少し寂しい気がしますが、その反面、産業医という専門業務に専念できて行動がしやすくなったとも考えられます。
産業医の未来は明るい、くだんの先生は常にこう言います。私もその通りだと思います。だから常に産業医としてのスキルを高く保ち、同時に産業医の価値を高めていきたいと思います。
当委員会は会員の産業医の先生方に良かったと思って頂ける内容を提供していきたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。
東京都医師会産業保健委員会委員長 上田 晃(上田診療所) 所属医師会:日本橋医師会